【中学歴史】徳川吉宗が改革でしたことの内容とは??

「暴れん坊将軍」としてお茶の間で親しまれる徳川吉宗

みんなも名前くらいは聞いたことあるかな?

実は吉宗、窮地に立たされた江戸幕府を救った将軍でもあるんだ。

 

では、どんなことで江戸を救ったというのでしょうか。

吉宗はどんな政治改革を行ったのでしょうか。

 

吉宗は、江戸幕府第8代将軍だ。

実は直系ではなく御三家の1つである紀伊藩からやって来た将軍なんだよ。

第6代と第7代の将軍は早くに亡くなってしまい、特に第7代将軍は幼くして亡くなったため跡継ぎがいなかった。

他に兄弟もいなかったために、白羽の矢があたったのが、御三家の紀伊藩の藩主だった吉宗だったってわけ。

 

御三家は初代将軍の家康が、もし将来直系が途絶えてしまったときに、ここから新しい将軍を選びなさいと定めた家なんだ。

紀伊藩の他に、尾張藩が・水戸藩があるよ。

 

では、そんな徳川吉宗について詳しく見ていこう。

吉宗が行った政策をざっくりまとめるとこんな感じだ。

引用:wikipedia

徳川吉宗(1684~1751年)

  • 紀伊藩からやってきた第8代将軍
  • 享保の改革を行う(江戸三大改革の1つ)
  • 米の増産に取り組んだ米将軍
  • 目安箱の設置
  • 公事方御定書の制定
  • 大奥の改革を行う

 

江戸幕府の窮地を救った将軍~享保の改革①人事改革~

吉宗が将軍になって取り組んだのが、幕府の改革だ。

第6代・第7代将軍が二人とも短期短命だったことにより、幕府内は財政難をはじめとして、けっこうな問題を抱えており立て直す必要があった。

なにより、側用人が仕切っていた幕府を将軍自ら仕切り直さなければならない。

そこで吉宗は当時、力を持っていた側用人たちを罷免する。

そして、家柄に縛られることなく、大岡越前をはじめとする優秀な人材を多く起用した。

大岡越前は後に町奉行となり、町火消しの整備や公事方御定書の編纂に力を尽くすよ。

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貧乏幕府を救え~享保の改革②米将軍の財政立て直し~

吉宗が将軍になったとき、幕府はそれまでの贅沢のツケが回ってきて貧乏まっしぐら。

そこで吉宗はまず倹約令を出して支出を抑えることにした。

将軍でありながら、木綿の着物を着用するなど自ら倹約に励みました。

 

そして、収入を増やすために商人たちと協力して、大規模な新田開発を始めたんだ。

米がとれる=年貢が増える=幕府の財政も潤うよね。

年貢の取り立ても豊凶関係なく一定の税を治めさせる定免法に変更させ、税収を安定させた。

また、上米の制といって、大名たちに参勤交代を半減させる代わりに一定期間だけ1万石に付き100石の米を上納させた。

このように吉宗は収入の要である米に関する政策を何個も打ち出していることから「米将軍」と呼ばれたんだよ。

庶民の声を聞け~享保の改革③目安箱の設置~

目安箱とは、庶民の内政や代官に関する意見を入れる箱だ。

現在でいう首相官邸のメールボックスみたいなものだよ。

投書のさいには細かいルールがありました。

  • きちんと住所・氏名を書くこと
  • 政治に役立つ意見や役人の悪事や不正に関する通報を書くこと
  • 設置は毎月3日の午前中で何か不備があると焼却処分する

なかなか面倒だけど、庶民には大当たりで毎回かなりの数の投書があったんだよ。

そして、その庶民の意見が反映されて、

小石川養成所という身寄りのない貧しい人に医療が受けられるよう病院が作られたり、江戸の町が火事になったときに活躍する町火消しが整備されたりしたんだ。

吉宗はきちんと庶民の意見にも耳を傾けていたんだね。

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裁判をスムーズに~享保の改革④公事方御定書の制定~

当時幕府には、現在の民法や刑法と言った裁判のための基本法が無かったんだ。

そのため裁判では、その時々によってこうしなさい、ああしなさい、これはダメと定まってなかったんだ。

 

吉宗は幼少期から大の法律好きで、中国の法律の本などを読み漁るほど。

そして、この幕府の裁判のやり方を問題視し、自らの手で裁判の基本を作ったんだ。

15年半の年月をかけ完成した裁判の基準を示す法律を公事方御定書というよ。

それぞれの罪に対してどんな刑罰があたえられるか予め定められているのは当時としては画期的だった。

これにより刑事裁判は公平性と迅速化が図られたんだよ。

上様は「野暮将軍」!?~大奥の大リストラ~

将軍のお世継ぎを設けるために設置された大奥

これが幕府の財源にとって目の上のたんこぶとなるなんて…。

まあ、いつの時代も女が着飾るにはお金がかかるもので、大奥も幕府の財源を食いつぶす原因の1つだった。

しかも、権力を持った女たちが政治に口を出すようになる始末。

 

新しい将軍の目に留まるよう美しく着飾った女たちを集めた吉宗は言い放った。

「お前たちはクビな」

吉宗は、4000人いた大奥勤めを1300人に減らしたんだ。

大規模なリストラだね。

 

しかも、次の働き口が見つかりやすいよう、美人を率先してクビにしたんだって。

このとき吉宗は正室を亡くして独身だったから、リストラされた美人たちはさぞ悔しかっただろう。

将軍生母になり、権力を握れるチャンスだったのに。

 

でも、吉宗はそんな女たちの野心も見越しての策だったのだろうね。

こうして大奥の改革をすることによって、財政難と女たちの権力争いを減らそうとした吉宗だが、大奥の女たちからは田舎からやってきた「野暮将軍」と揶揄されていたんだって。

女って怖いね。

まとめ!

徳川吉宗の行った政治についてお話しました。

このほかにも、飢饉対策としてサツマイモを植えたりと様々な改革をした吉宗。

でも享保の大飢饉が起こったり、厳しい質素倹約が武士や町民の反感をかったりと、順風満帆ではなかったんだ。

以下に大事なキーワードをまとめておくよ。

  • 享保の改革を行った将軍
  • 財源を見直し、米の生産を増やす→新田開発・上米の制
  • 庶民の意見を取り入れるために目安箱の設置→小石川養成所の設置・町火消しの整備
  • 刑事裁判の公平性と迅速化を図るための法律を制定→公事方御定書の制定

 

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