【中学歴史】ペリーが来航して何が起きた?結んだ条約は?どこを開港した?

江戸時代末期に起きた大きな事件「黒船来航」

アメリカ人のペリーが日本に開国を迫ってやってきた事件のことなんだけど、今回はこのことに対してもう少し詳しくお話しよう。

ペリーはアメリカ合衆国の海軍の軍人さんだ。

海軍一家に生まれてみんな優秀な軍人だったんだ。

ペリーも優秀で、アメリカ東インド艦隊総司令長官という地位にまで上り詰めた人なんだよ。

蒸気船を用いた海軍の強化対策にも努め、アメリカでは「蒸気船海軍の父」とまで称されているんだ。

さて、そんなペリーが日本で行ったことをざっくりまとめるとこんな感じだよ。

ペリー提督(マシュー・ペリー)(1794~1858年)

  • アメリカ東インド艦隊司令長官
  • 1853年、4隻の軍艦を率いて浦賀に来航
  • 1854年、日米和親条約締結

日本よ開国の時だ!~ペリーの目的とは?~

3代将軍徳川家光が鎖国を完成させてから、200年あまり。

日本はずっと鎖国を貫いてきたが、江戸時代末期になると欧米諸国から開国を迫られていた。

江戸幕府は頑として聞き入れなかったが、1853年、アメリカからついにペリーがやって来た。

ペリーの目的はただ1つ。

なんとしても日本を開国させることだ。

 

なぜ、アメリカはそんなにも日本を開国させたかったのか?

理由は2つある。

1つ目は、日本を捕鯨船の拠点としたかったからだ。

当時は石油がまだ主流ではなく、クジラからとれる鯨油がもっとも良質な燃料と考えられていたんだ。

しかも鯨油は石鹸にもなるし、クジラの骨も傘の骨組みなど様々な製品の原料になっていたんだ。

太平洋は世界でも有名なクジラの猟場。

だから、アメリカは日本に開国してほしかった。

 

2つ目は清との貿易拠点として日本を活用したかったからだ。

清は当時、イギリスやフランスと貿易をしていて、アメリカもこれに加わりたかった。

しかし、アジアに植民地を多く持っているこれらの国に比べて、アメリカはアジアに植民地を持っていなかった。

だから、まだオランダ以外誰も手を付けてない日本に目をつけたってわけだ。

そうしたアメリカの思惑を叶えるため、アメリカ大統領の書簡をもって、いざ開国とペリーがやってきたんだ。

黒船がやってきた!~ペリー浦賀へ。その時幕府は~

ペリーは蒸気船の軍艦を率い、長崎ではなくあえて江戸に近い浦賀へとやって来た。

長崎はもしかするとオランダに妨害されるかもしれないし、江戸幕府に最先端の軍事力をみせつけるためには江戸に近い浦賀がうってつけだったんだ。

幕府に開国させるためには、話し合いではなく、脅す方が手っ取り早いと思ったんだね。

 

このペリーの思惑は大成功。

ペリーたちの船は「黒船」と呼ばれ、みんな大パニック。

ペリーなんて「赤鬼」なんてあだ名がつけられたほど。

でも庶民より慌てたのが幕府だ。

 

幕府はあの軍艦がいかに強いかを知っている。

なんせ世界最強と思っていた清がイギリスに負けている。

次は日本かもという危機感を抱いていたところに、本当にやってきたんだ。

 

幕府は使者を送ったが、ペリーは使者の身分が低いといって拒否。

高官を連れてこい、でないと兵を率いて上陸するぞと脅します。

焦った幕府は、アメリカからの国書を受け取らざるをえなくなったんだ。

そして、ペリーはここぞとばかりに開国を畳み掛ける。

 

幕府はなんとか、将軍の病気を理由に1年の猶予を懇願。

ペリーはそれを受け入れ、また1年後に再来航することになったんだ。

そしてペリーは帰って行った。

江戸の港まで艦隊を北上させ威嚇することを忘れずに。

 

ペリーが帰った後、老中:阿倍正弘は大名たちを集めて今後を話し合った。

親藩や譜代大名だけでなく外様大名にまで意見を求めたが、結局結論は出なかった。

そればかりか狼狽する幕府の姿を大名たちに見せてしまい、幕府の権威は落ちに落ち、大名たちに討幕の隙を与えることになってしまったんだ。

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ついに開国へ~日米和親条約の締結~

1年猶予を与えられていた幕府だが、ペリーが再び浦和へと現れたのはなんと半年後。

しかも9隻の軍艦を江戸湾に集結させている。

 

突然の来航に幕府は大パニック。

え、もう来たの!?なんか軍艦多くない!?

と急ピッチで協議を進めた結果、ついに観念して開国することに。

 

反対の意見も多かったが、今の幕府の力では開国するしか道が無かったんだ。

こうして215年続いた日本の鎖国はついに終わりを迎えたんだ。

開国後、日本とアメリカの間で、日米和親条約が締結されたんだ。その内容は以下のとおり。

【日米和親条約】

  • アメリカ船に燃料や食料などを足りなくなったものを供給すること
  • 下田、函館の2港を開き、下田への領事の駐在を認めること
  • アメリカに一方的な最恵国待遇を認めること

アメリカは最初、浦賀を含む5港を開港するように求めたんだけど、浦賀は江戸に最も近い港だったため、幕府はそれだけはなんとか拒否したんだよ。

この条約では、貿易に関する事項はふくまれていない。

航海に必要なものを幕府が補給するということで落ち着いたんだ。

まあ、この後で貿易に対する不平等な条約を結ぶ羽目になってしまうんだけどね。

日本の開国は瞬く間に世界の大ニュースとなり、イギリス・ロシア・オランダとも同じような条約を結んだんだ。

まとめ!

以上、ペリー来航と開国についてまとめました。大事なキーワードを下にまとめておきましょう。

  • ペリー=アメリカ東インド艦隊司令長官
  • 1853年、4隻の軍艦を率いて浦賀に来航。→日本に開国を迫る
  • 1854年、日米和親条約締結→下田・函館の2港を開港。下田に領事を駐在させる。

 

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