江戸三大改革の最後を飾るのは水野忠邦の行った「天保の改革」だ。
この時代は、江戸幕府の晩年で大きく江戸幕府の在り方に変化があった時代なんだ。
鎖国を貫いていた幕府に対して開国を迫る外国船。
国内では天保の大ききんがおき、洪水や冷害により東北地方諸藩が壊滅状態。
ききんや物価高騰で全国で一揆や打ちこわしが多発。
そんなとき、幕府を任されたこの水野忠邦という人。
彼は、江戸幕府の老中だ。元々は唐津藩(佐賀県)の藩主だったんだけど、大変な野心家だった。
こんなところで一生を終わってなるものかと、なんとわいろを使って転付や昇進を繰り返し、老中のトップまで躍り出たんだ。
18歳で家督を継いで、45歳で老中へ。
でも、老中となったときは大御所として11代将軍が政治を仕切っていた。
12大将軍と幕臣たちは出る幕が無く、悪化する政治状況に忠邦はヤキモキするのみ。
そしてやっと11代将軍が死ぬと、12代将軍が強力な後ろ盾となり、邪魔な11代将軍の側近たちを追い出していよいよ改革に乗り出したんだ。
彼は、幕府が強い権限を保持していた古き良き時代へと戻すという目標があった。
そのためにどんな政治をあこなったのか。ザックリまとめるとこんな感じだ。
引用:wikipedia
水野忠邦(1794~1851年)
- 12代将軍の時の老中
- 天保の改革を行う
- 倹約令
- 人返し令
- 株仲間の解散
- 上知令
- 薪水給与令
風紀を乱すな!贅沢禁止!~天保の改革①倹約令~
11代将軍の政治は贅沢で奔放な政治だった。
国内中で風紀が乱れ、幕府の財政も真っ赤。それを立て直すために倹約令をだし、人々の生活を厳しく取り締まったんだ。
絹の服は禁止、落語といった娯楽を禁止にしたんだ。
贅沢の象徴とされた歌舞伎役者なんて江戸から追放されちゃったんだ。
また、役人の中にはわいろが横行していたから、それを厳しく取り締まり、幕府に反抗的な人物もどんどん追放した。
地方に帰って米作りなさい!~天保の改革②人返し令~
国内に大ダメージをもたらした天保の大ききん。
冷害や洪水で特に東北地方をはじめとする諸藩が壊滅的に。
餓死者であふれ、江戸の町も職を求める人でごった返しの大混乱。
一方、地方の農村は、人が出て行ったせいで荒れ放題。
当然、米の生産量は落ち、幕府の年貢も減り財政難。
それを食い止めようと出されたのが、人返し令だ。
江戸にいる農村出身者を強制的に農村へ帰らすという法令。
また、農民が江戸に移住することも合わせて禁止とした。
幕府は今でいう戸籍調査のようなものを行ってまで、農村からの人口流出を厳しく取り締まったんだよ。
物価高騰は株仲間が悪い!~天保の改革③株仲間の解散~
忠邦は、物価が高騰しているのを商人が自由に商売できないせいだと考えた。
そこで、商売の独占権を得ている株仲間を解散させて、値段設定を自由にして物価を下げようと考えたんだ。
改革の目玉!幕府の領地を増やす!~天保の改革④上知令~
幕府は江戸や大坂の約1500㎢を幕府の直轄地にしようとして、
そこに領地を持つ旗本や大名に領地を変換せよ
その代りに、元々の領地の近くにまとまった土地を与えるという命令を出した。
これを上知令と言います。
この狙いは、大阪や江戸の年貢量は元々高く、その土地を幕府のものにすることで幕府の収入アップだ。
また、もう一度幕府の権力を大名たちに再確認させ、いずれ攻めてくる外国への対応を強化させようというものだったんだ。
外国への対応に迫られる~天保の改革⑤薪水給与令~
このころ、鎖国を貫く幕府に開国を迫って次々と外国船が入港していた。
幕府はそれに対して、近づいたら容赦なくぶっぱなすという「外国船打ち払い令」とい命令を出していたんだ。
でも、モリソン号事件が起きてしまう。
これはアメリカの商船が日本人の漂流民を送り届けてくれようとしたのに、その船を攻撃して追い払ってしまったというもの。
これは外国から非難ごうごう。
しかも、中国がイギリスに戦争で負けてしまった。アヘン戦争だ。
日本にとって中国は世界で1番強い国。
そんな国があっさり西洋諸国に負けてしまった。
あれ、日本やばくない?
力づくで追い払えないじゃんってわかったんだね。
忠邦は外国への態度を緩和し、薪水給与令を出した。
遭難した船に対して燃料・蒔の補給を認めたんだ。外国との戦争を回避しようとしたんだね。
天保の改革の結果~大失敗で2年で終了~
この改革は大失敗に終わった。
厳しすぎる倹約令は人々の不満を買い、各地で暴動が起きた。
人返し令も上手く機能せず、江戸も地方も大混乱。
株仲間を解散したせいで、商人から税金を取り立てられなくなったばかりか、江戸に商品が流通しなくなり逆に値段が上がっていく始末。
ますます、幕府の財政は悪化してしまった。
そして、改革の目玉の上知令もが改革のトドメを指すことに。
いきなり領地を取り上げらえた大名や旗本が大反発。
11代将軍の時から芽生えていた幕府への反発心がここにきて大きく膨れ上がり大爆発。
大名や旗本たちからそっぽ向かれた水野忠邦は、最大の後ろ盾であった12代将軍の信頼も失ってしまい、失脚。
この失敗の影響は幕政だけではなく、なんと薩摩藩や長州藩など、幕府を無視して各藩で財政改革に成功する藩が出てきてしまった。
それらの班は結果的に幕府より裕福な藩へと育ってしまい後の討幕の幕開けとなってしまう。
また、外国への対応の薪水給与令も、態度を軟化させたために、外国へとつけ入る隙をあたえてしまい、これから先、日本は開国を余儀なくされるのだった。
まとめ!
以上、水野忠邦の行った政治についてまとめました。大事なキーワードを下にまとめておきましょう。
- 天保の改革を行う→厳しすぎて旗本・大名・民衆中で大反発が起こり失敗→討幕や開国への幕開け
- 倹約令→厳しすぎて反発
- 人返し令→大した効果も得られぬまま消滅
- 株仲間の解散→物価高騰
- 上知令→旗本や大名からの反発→幕府との信頼関係の揺らぎ
- 薪水給与令→外国への態度緩和により、外国に付け入るすきを与えてしまう。
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