縄文時代が終わりを向かえた今から2300年前。
日本では新しい時代の幕開けでした。
約600年間続いたこの時代を弥生時代というんだ。
弥生人というとどんなイメージがあるかな?
ずばり、今のみんなの言葉をかりるとしょうゆ顔だ!
面長で彫が浅く一重瞼、鼻も低くのっぺりとした顔。身長は男性で164cmぐらい。
女性で150cmくらい。体毛も薄くて色白。
平均寿命は20代くらい。
縄文人たちと比べるとだいぶ違うよね。どうしてこんなに変化したのか。
それは弥生人たちの暮らしと大きく変わっているんだ。
この記事でしっかり解説していくよ。
弥生時代の特徴【稲作の誕生】
弥生時代の最大の特徴として重要なことは稲作が始まったことなんだ。
お米を作りだしたんだね。
これは中国から伝わったといわれています。
今までの時代では、狩りや木の実を集めたりする生活でした。
だけど、弥生時代で初めて自分たちの手で育てたものを食べるようになったんだ。
このことは人々の暮らしに様々な影響も与えたんだよ。
水田は初め湿田といっていつも水を張っている田んぼだったんだ。
石包丁といわれる石を磨いて作った手のひらサイズの包丁で稲の穂を刈って収穫していたんだよ。
でも、段々と技術が発達してくると現在と同じ乾田が開発されます。
これにより、田植えの時だけ水を張るようになり、収穫も稲を根元から鉄鎌で切り取る根刈りという作業に変わっていったんだよ。
収穫された稲は高床倉庫という床を地面から高く上げたところに作った倉庫に保存されました。
なんとこの倉庫、ねずみが入ってこれないように、ねずみ返しまで作られていました。
いつの時代もねずみは嫌われ者だったんだねぇ・・・。
弥生時代の特徴【弥生土器】
縄文時代と同じように弥生時代でも土器が作られました。
役割も今でいうお皿や鍋で一緒だ。でも特徴は全然違っていたんだよ。
弥生土器や薄手で丈夫。
色は赤い褐色。
この色の違いは材料は同じ粘土なんだけど焼き方が違っていたからなんだ。
弥生土器は高温で藁や稲をかぶせ蒸し焼きしたから赤褐色というわけ。
土器を見ても縄文時代からは数倍技術が進歩したことがわかるよね!
デザインも質素なものが多いんだ。流行が変わったんだね。
でも、なんで弥生なんだろう。
それはこの土器が東京都文京区弥生というところで見つかったからなんだ。
案外簡単な感じの名付けだね(笑)
弥生時代の特徴【金属器の伝来】
稲作が中国から伝わってしばらく経ったあと、朝鮮半島から2つの技術が渡ってきました。
まずは青銅器と呼ばれる道具。古代文明の記事でもよく出てきたワードだけど覚えているかな?
【参考記事】
青銅器は祭のときに使われた道具だったよね。
日本の弥生時代でも稲の収穫祭などの宝物や儀式用の品物として青銅器が作られるようになりました。
銅剣・銅矛・銅鐸と呼ばれるものがそう。
これらをまとめて青銅製祭器ともいうよ。
剣と矛はわかるけど、銅鐸ってなんかよくわからないよね。
形のイメージはお寺の鐘。
でも鐘みたいに大きくはないよ。いろんな種類はあるんだけど主なものは高さ約20~150cm。
元々ベルのように音を鳴らして使われる楽器だったんだけど、だんだんと大型化して飾るだけのものに変化していったみたい。表面には農作業の様子や高床倉庫などが描かれているよ。
〈ウィキペディアより引用〉
次は鉄器だ。弥生時代の初めの頃はまだ石包丁などの石器が中心でした。
鉄器は輸入されたほんのわずかだけだったんだ。
でも弥生人たちは鉄器の技術を学び、どんどんと自分たちの手で作りだしたんだ。
最初は木製の鍬などを作る時の工具として使われていただけだったんだけど、そのうち木製に変わって鉄製の農耕具を使用するようになったんだ。
木より鉄の方が丈夫で便利ってことに気づいたんだね。
次の項目で詳しくお話するけど、この弥生時代ではだんだんと争いが起きるようになる。
鉄器は剣などの武器も多く使用されるようになるんだよ。
弥生時代の特徴【ムラからクニヘ】
稲作が広まり、鉄器が農耕具に使われるようになると収穫量もアップするよね。
人々の暮らしもだんだんと豊かになっていくんだけど、みんなが全員同じように豊かになっていくとは限らない。
とうぜん貧富の差が生まれるよね。
ところでこの時代、お金はあったかな?
答えはノーだ。
では、貧富の差は何で比べられると思う?
そう、米だ。
この時代は米がお金の代わりだったんだね。
暮らしが豊かになってくると、だんだんと人口も増え、大きくなってくる。
それをまとめるためにリーダー(=有力者)が生まれ、だんだんと階級(=身分の差)がうまれてくるんだ。
でも、人口が増加しすぎたり、天候によって収穫量が少なかったりすると…
思うように米がとれない人々が出てくる。
彼らはそのままその土地にいるのか?
いやいや、自分たちも豊かな暮らしがしたいよね。
で、どうするか。
豊かな土地を求めて争いを仕掛けるんだ。
戦争の始まりだね。
こうして争いによりムラがだんだんと統合されていきやがて大きなクニが出来上がるんだ。
争いによって集落の様子も変化がありました。敵が攻め込んでこないように周りを溝で囲った環濠集落や、高い所に集落を作る高地性集落が多く作られたんだ。
倭国と中国の関係
争いが続いていくと、だんだんとクニが大きくなり、1つの小国になっていったんだ。
紀元前後、日本は100余りの国に分立していたんだよ。
そして中国と交易をもった国も現れてきたんだ。
その様子は中国の歴史書の中にも記されています。その歴史書によると、当時日本のことは倭(わ)と呼ばれていたんだ。
なぜ、倭の国の国王たちは中国に遣いを送ったのか。
当時、中国は倭よりももっと発展した文化を持っている巨大な帝国だったんだ。
一方、日本では小国同士で小競り合いが続いている状況。
そんな日本の小国は思います。
もう早く争いに勝ちたい。
このまま争いを続けていても自分たちの力だけじゃ負けてしまうかもしれない。
そんなとき
こんな大国が味方についてくれたら…勝てるじゃん!
中国を味方につければ、日本の中で抜きんでた存在になれるのではないかと考えたのです。
そして、倭の国王は中国の王に対し
「自分が倭の国王です」ということを認めてもらうため
中国に貢物や臣下の礼をとっていたんだ。
倭の中でも有名な2つの国についてお話しするよ。
奴国
中国の漢という王朝の歴史書「後漢書東夷伝」に記されています。
紀元57年、奴国王は漢の光武帝という皇帝に遣いを送りました。
そして、後ろ盾(=倭の国王と認めてもらったこと)の証しとして「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という文字が記された金印を授けられたんだよ。
金印とは黄金でできたハンコのことだ。
ハンコを貰うということは王だと認められた証しだったんだ。
「漢委奴国王」という言葉の意味は何だと思う?
わかりやすくいうと漢の皇帝は奴国の王を倭の国王と認めたよっていう意味なんだ。
邪馬台国
「魏志倭人伝」という中国の魏という国の歴史書に記されています。
魏は聞いたことあるかな?「三国志」で有名だね。
邪馬台国は2世紀~3世紀に女王によって治められていた大国だ。
女王の名は卑弥呼。
元々は男の王が治めていたんだけど、争いは治まらず、国は荒れていった。
そこで卑弥呼を王にしたところ争いがおさまり、みるみる大国へとなっていったという。
邪馬台国は日本で初めて女性が王となったんだけど、なぜなのか。
それは卑弥呼が神の声を聞くことができる巫女だったからなんだ。
当時の政治は鬼道と呼ばれる今でいう占いによって神のお告げを聞く方法だったんだ。
だから神の声を聞ける巫女である卑弥呼が王に選ばれたんだね。
卑弥呼は女王となってからは1000人の召使いを従えて宮殿に入ったきり人前に姿を見せず、弟がその言葉をみんなに伝えていたんだ。
巫女は神の妻ともされているから死ぬまで独身だったんだよ。
そして卑弥呼は魏から王と認められ、「親魏倭王(しんぎわおう)」と記された金印と銅鏡を授けられたんだ。
銅鏡っていうのは銅でできた鏡だ。昔から鏡は神聖なものだったんだ。
今でも神社でご神体(=神様がいる(宿る)もの)になっているね。
このように大国を築いた女王が死ぬと、大きな墓を作って埋葬したんだ。この頃では王が死ぬと大きな墓が作られるようになったんだよ。
卑弥呼の墓には、たくさんの宝物や銅鏡などが一緒に埋められた。
そしてなんと、100人余りの召使いも生き埋めにされたんだよ。
これは、生きている時に仕えていた人を死後も仕えさせようという意味があったみたいなんだけど、むごいよね…。
生き埋めにしても、しばらくは当然生きているわけだから
夜通しすすり泣く声とかもあって…想像するだけでホラーだ…。
卑弥呼の死後は、男の王が立つんだけどまた国が荒れたんだ。
男王は駄目だったので、次は女の王を立てたんだ。
そしたらまた争いは治まった。
でも、この邪馬台国はその場所も卑弥呼はどのように生まれどんな育ちだったのか、どうやって王に選ばれたのか、詳しいことは謎のままなんだ。古代最大のミステリーなんて言われているんだよ。
弥生遺跡はどこにある?
弥生遺跡はここ!!というほど有名なところがあります!
吉野ヶ里遺跡です!
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にあります。
ここは大規模な環濠集落の跡地なんだ。竪穴住居や高床倉庫、祭りが行われる神殿がたくさんあり、翡翠などの宝石や青銅器も出土されているよ。
また濠の内外には、敵の侵入を防ぐ柵や物見やぐらも多数あったことが分かったんだ。
そして共同墓地からは怪我をした骨や首から上が無い骨が見つかっているんだ。
戦いの激しさが分かるね。
弥生時代の特徴、文化【まとめ】
重要なキーワードを下の表にまとめたよ。
- 稲作・青銅器・鉄器が中国から伝わる。
- 階級・貧富の差が生まれ、ムラからクニになった。
- 中国へ使者を送り、金印を貰う。
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