【歴史】大和政権とはなに?わかりやすく簡単にまとめていくぞ!

2019年4月1日に新元号「令和」が発表され、5月1日には新天皇が即位されるわけだけど。

このニュースをきっかけに、そもそも天皇って何?

いつからこの日本には「天皇」と呼ばれる人がいるのか?

このような疑問が湧いてくる人もいたと思う。

 

実は、その天皇の基となるのが

「大和政権」

っていうんだけど

これだけ聞いてもピンとこないよね(^^;)

そもそも「大和」って何なの?って感じだw

 

というわけで今回の記事では

天皇の基ともなっている大和政権なるものについて

その疑問、お答えいたしていきます!

大和政権の誕生

大和政権とは古墳時代に日本に誕生した有力豪族たちによる連合政府のことです。

4世紀ごろ今の近畿地方の大和を中心とする有力な豪族たちが集まって作られたんだ。

大和とは今の奈良県の辺りだよ。

大和地方の豪族の集まりだから大和政権と呼ばれるようになりました。

 

大和政権の中心人物である王のことを「大王」といいます。

大王率いる大和政権はやがて小国に分裂していた倭を一つにまとめ、いろいろな制度を作って国を築き上げていったんだ。

そして、この大王のことをいつしか「天皇」と呼ぶようになります。

 

そう。日本の天皇家は古墳時代からずっと続いているんだね。

これは世界的にも大変すごい事なんだ。

まぁでも、この大和政権の成立時期についてはまだはっきりとは解明されていなくて、(だいたいこのくらいだろうと…ちょっとアバウト)

学者さんの中でも論争が繰り広げられている。

「空白の4世紀」なんて言われているこの成立時期。

この謎を解き明かすには古墳を発掘するのが一番なんだけど、古墳って天皇のお墓だから簡単に発掘はできないんだ。

日本古代史最大のこのミステリー

全てきれいに解明する日はくるのかな。

大和政権の組織~氏姓制度~

大王を中心とする大和政権は畿内(近畿地方)だけじゃなく、その勢力をどんどんと地方にまで拡大していったんだ。

すると、豪族も元々大和政権にいたのとプラスして地方さまざまな豪族が大王に仕えるようになった。

 

そこで大王はこの豪族たちに身分や地位をさずけ、もっと支配しやすくしたんだ。

この制度のことを氏姓制度と言います。

 

「氏」というのは豪族たちの血縁グループのこと、「姓」というのが大王から与えられた地位だよ。

つまり、豪族の血縁集団「氏」に対して「姓」という身分を与えたんだ。

現在の名字をイメージしがちだけど、ちょっと違うから注意しよう。

では「氏」と「姓」にわけて説明しよう。

氏姓制度の仕組み~氏~

氏のトップ(わかりやすく言うと族長)のことを氏上といいます。

氏の中にも上下関係があって、氏上の下にその血縁者(わかりやすくいうと子や孫や親戚たち)である氏人がいる。

そして、その下には氏が所有する土地で働く部曲と呼ばれる人々(ようするに領民たち)、最下層に奴婢という奴隷たちがいる。

 

注意することは、氏というグループは血縁関係のない部曲や奴婢まで含まれるということだよ。

この人たちを全部まとめて氏というんだ。

氏の種類には「蘇我氏」「葛城氏」といったその豪族たちが住んでいた地名からとったものや、「大伴氏」「物部氏」といったその豪族たちがついていた職務からとったものがあるよ。

氏姓制度の仕組み~姓~

位の高いものから順に臣・連・君・直・造などがあります。

臣=大和政権を構成する有力豪族や地方の有力豪族→大王家と祖先神が一緒。

連=特定の職務(軍事や祭祀など)について以前から大王に仕えてきた豪族→大王家と祖先神が違う。

君=地方の有力豪族

直=国造(大王から任命された国司(知事みたいなもの))に任じられた地方豪族

造=伴造豪族(連の下で特定の職務についた豪族)

中でも臣と連が上位なんだけど、その臣連を与えられた豪族の中でもナンバー1の氏には「大臣」「大連」の姓が与えられた。

天皇の側近中の側近で、大和政権の中枢を担ったんだ。

大臣は蘇我氏、大連は物部氏を覚えておこう。

 

姓は代々世襲制だ。(親から子に受け継がれていくこと。)

また、地方には直の姓をあたえた地方豪族を国造という地方官に任命したり、大和政権にとって重要な土地には、大和政権に忠誠度が高い豪族を「県主」という役職にして派遣したりしたんだ。

中央から地方まですみずみまでその権力を及ぶようにしたんだね。

 

ちなみに天皇家には名字がないことはご存じだろうか?

そのわけはこの氏姓制度からわかるよ。

この氏姓制度、氏も姓も大王が豪族を統制しやすくするものだよね。

当然、大王一族は氏も姓も必要ない。大王一族は別格だ。

いうなれば現在の名字とは天皇の臣下であるという現れなんだ。

これが今までずーっと続いているから、天皇家には名字がないんだよ。

大和政権の組織~所有地と所有民~

大王や豪族たちは自分たちで管理する土地や自分たちに仕える労働集団がいました。

労働集団は「部」といい、その中に属する人々は「部民」と呼ばれました。

大和政権の組織~大王~

大和政権のトップである大王家も直接管理する土地のことを屯倉(みやけ)といい、そこを耕す農民集団を田部(たべ)といいます。

田を耕す集団=部だから田部だ。

この田部の人々は元々は国造が治めている国から連れてこられた(国造の勢力削減のため)人々だったり、渡来人だったりしたんだ。

また、田畑を耕す以外にも、大王一家が暮らす家=宮で大王一家をお世話する(召使いなど)労働集団もいました。

その集団を子代(こしろ)・名代(なしろ)といいます。

この部民たちは、例えば雄略天皇の住まいである長谷朝倉宮で働いていたから「長谷部」というように部名がつけられたんだよ。

部というとなんか難しいかもしれないけど

現在の部活動のテニス部=テニスをしている集団とかとイメージは一緒かな。

大和政権の組織~豪族~

豪族にも私有地や私有民はいました。

私有地を田荘(たどころ)といい、そこを耕す私有民の集団を部曲(かきべ)といいます。

この部曲も所有者である豪族の名前をとって、例えば蘇我氏なら蘇我部、大伴氏なら大伴部と呼ばれていたんだよ

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祖先神信仰と神話

氏神って知っているかな?

氏神っていうのは同じ土地に住む人々が同じ神様をお祀りしていることだ。

みんなも初詣で自分の氏神様の神社に行くよね。

そもそもこの氏神がはじまったのもこの時代からなんだ。

 

元々は血縁集団の氏が自分たちの祖先を神として祀ったことから始まって、次第に今の住む地域を守る神社のことを氏神というようになったんだ。

古墳時代はまだ宗教的な考えが根強い時代だった。

氏のトップである氏上は氏神の祭祀を行い、氏たちは自分たちの権力の正統性を示すためにも、自らの祖先を氏神として神社をつくってまつったんだ。

自分たちは神の子孫であるということを権威づけしたんだね。

その中でも、大王家=天皇家の祖先神である天照大神は、太陽神であり日本の神道における八百万の神の中でも最も尊い神だ。

 

この天照大神が自分の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を神様のいる国(高天原)から日本列島(中つ国)に降臨させて1つにまとめるように指示した。

そして瓊瓊杵尊は日本に降り立ちその子孫たち=歴代の大王たちが日本を統一していった。

という伝説=神話が語られ、大王の力の拡大によって、神話も皇室中心に統一されていったんだ。

天照大神が祀られている神社は三重県にある伊勢神宮なんだ。

その他にも大国主命(おおくにぬしのみこと)という神をまつった出雲大社などが古くから伝わる神社の代表だよ。

大和政権と朝鮮・中国の国々

渡来系豪族の出現

古墳時代に朝鮮や中国からやってきた人々を渡来人(とらいじん)という。

当時、中国や朝鮮では長く争いが続いていて、争いから逃れるために多くの人が日本にわたってきたといわれています。

また大和政権は朝鮮の国々と交易していて、大和政権につかえるためその国の人々がに渡ってきたんだよ。

この渡来人のおかげで日本は漢字や儒教、仏教が伝わったんだ。

大和政権は仕えた渡来人たちに首・史などの姓を与えたんだ。

中でも史は漢字を使って記述する仕事に就いた渡来人だよ。

 

王仁という渡来人によって漢字が日本に伝わり、その子孫は西文氏という豪族になった。

また阿知使主も同じ文筆でその子孫は東漢氏という豪族だ。

そして日本にとって重要な機織りや養蚕の技術は弓月君という渡来人がもたらしたんだ。

この弓月君は秦氏という豪族になりました。

このように渡来人は大和政権、そしてゆくゆくは天皇家にも深くかかわっていくようになるんだよ。

ちなみに794年に平安京に遷都した桓武天皇の母は百済系渡来人の豪族で、弘法大師として有名な空海の母親も渡来系豪族なんだ。

朝鮮進出

国内が制度によって整えられると、鉄を求めて、なんと朝鮮まで進出していこうとするんだ。

当時の朝鮮は4つの国に分かれていて、その中の「加羅」と「百済」と仲良しだったんだ。

でも「高句麗」という国がどんどん勢力を伸ばして百済、加羅と敵対する。

当然、大和政権も何度も朝鮮に向けて出兵するんだ。

この時、高句麗と戦った記録が、好太王碑(広開土王碑)に記されているよ。

(ちなみに韓流ドラマで「広開土王」っていうのがあるよ。韓国の大河ドラマだ。興味がある人はぜひ(笑))

広開土太王 DVD-BOX

結局、大和政権は負けちゃって朝鮮から撤退するんだけど…

でもこの戦いのおかげで、乗馬が日本に伝わったんだ。それまで馬に乗る風習は日本には無かったんだね。

倭の五王

中国の宋という王朝の歴史書に登場する、讃・珍・済・興・武という5人の倭王。

5世紀初頭からおよそ1世紀近くにわたって朝貢(中国に使いを送って後見を頼むこと。詳しくは弥生時代のまとめ記事参照)していた。

この5人の王は大和政権の大王たちなんだけど、それぞれどの大王に該当するのかまだはっきりとわかっていないんだ。

だけど、武王は第21代雄略天皇とする説が有力だ。

 

雄略天皇は「獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)」と言います。

稲荷山古墳や江田船山古墳から出土した鉄剣に「獲加多支鹵」の文字が刻まれている。

この鉄剣は大王が地方豪族との結びつきを強めるために与えていたものだと言われているんだけど、この「たける」という文字を中国の歴史書では「武」という文字をあてたのではと考えられているんだ。

ちなみに雄略天皇は大王の中でもとっても勇猛な方で、大和政権に反抗的な地方豪族を武力によって鎮圧していったり、朝鮮にも死ぬまでに何度も高句麗と戦い、当時壊滅状態だった百済を復活させたりしたようだ。

雄略天皇=武だとすると、済=第19代弁恭天皇、興=第20代安康天皇という説でおおむね決定なんだ。

でも残りの2王についてはまだ確定するにはいたっていないんだよ。

大和政権~まとめ~

重要なキーワードを下にまとめたよ。

○朝鮮進出=好太王碑に記録。騎馬の伝来。

○「獲加多支鹵」の鉄剣=稲荷山古墳。地方豪族との結びつき強化。

しっかり整理して覚えよう。

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