【中学歴史】国風文化の特徴まとめ!服装や作品、かな文字について

菅原道真によって遣唐使が廃止された平安時代。

唐の文化を必要としなくなったこの文化を国風文化という。

この文化を詳しく解説していくよ。

国風文化の特徴

それまでに伝わってきた唐風の文化と日本独自の文化が合わさり全く新しい文化が花開いたんだ。

日本の風土や生活、日本人の感情にあった文化なんだよ。

貴族の服装

平安時代の服装と言えばどんなものをイメージするかな?

長い帽子をかぶって、手には扇。何層にも重なる着物をズルズルズルズル…。

特に女の人の服装である十二単と呼ばれるものは1度は目にしたことがあるかもしれないね。

では詳しく解説しよう。

《男性の服装》

男性は大きく分けて4種類の服装があります。

束帯 貴族の正装。朝廷の行事等で着用。頭は冠、笏を持ち、裾と呼ばれる布を長く後ろに引く。身分が高いほど裾は長いよ。浅靴という木靴をはく。でもこの服装は着る物も多いし、着方も複雑。
衣冠 束帯を簡略化したもの。宮中で仕事するときに着用。(スーツといったイメージ)頭は冠をかぶり、袴の代わりに指貫というゆったりとしたズボンをはいている。(紐で足に括り付けてたるませて着用)笏ではなく、檜扇を持つ。
直衣 普段着。頭は冠であったり、立烏帽子であったり。
狩衣 狩りや蹴鞠など外で運動するときの服。(いわば体操服)

束帯と衣冠は仕事着だから身分・役職によって着られる色が定められていたんだ。

でも直衣や狩衣は普段着だからそんな決まりはない。自由に色柄を選べたんだ。その合わせ方や柄でファッションセンスを競ってたんだよ。

男性もお洒落さんだったんだね。

そして貴族たちは人前では絶対に何があっても冠・烏帽子を外さなかった。

家でぼーっとしてる時も外さなかったみたい。外した姿を見られるのは今でいう裸を見られるのと同じ位恥ずかしい事だったみたいだよ。

 

《女性の服装》

平安時代の女性ファッションと言えばこれ十二単。

十二単というのは通称で、正式には女房装束または五衣唐衣裳といいます。これは男性の束帯同様、儀式のときに着ていた正装だ。

普段着はこれよりもうちょっと衣の数や種類を減らして着用したんだ。

構成は着ている上から、唐衣・表着・打衣・五衣(ここは5枚)・単衣・長袴(ここから下半身)・裳からなり全部着るとなんと20キロにもなったそう。

重いなあ…。

室内で女性が移動するときは主に膝立ちでズリズリ動いていたみたい。

なかなか立ち上がるにも一苦労だよね。

でも女性たちはこの着物の色の合わせ方のグラデーションでオシャレを楽しんでいたんだ。

このグラデーションは襲の色目と言われ、例えば、松かさね・紅梅の匂・紅紅葉という合わせ方があり、日本の四季に添った合わせ方を楽しんでいたんだ。

う~ん、雅!

屋敷の建築様式

貴族たちの屋敷は寝殿造りという建築様式が用いられていました。

中心に寝殿という屋敷の主人が生活する建物を造り、その左右背後に対屋を建て、そこと寝殿を渡殿という廊下でつないでいたんだ。

寝殿の南側には庭・池があり、大きな屋敷では池の中に中島や橋を架け、舟を浮かべて雅な宴をすることもあったよ。

庭にはいろいろな樹木(主に梅や桜)が植えられ、四季折々の景色を楽しんでいたんだ。

 

でも問題が…。

風通しが良すぎて冬はかなり寒かったみたい。

室内は板敷で、部屋の仕切りは御簾や屏風を用いていて、今の家みたいにガラス窓もないし、ドアもない。完全な個室ではなかったから、雨風はそのままはいってくるし、吹雪なんて日にはもう…。

貴族たちは火鉢をガンガンに炊いてい温まっていたそうだよ。

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かな文字の誕生と文学作品

平安時代の大発明と言えばこのかな文字

かな文字は漢字を基にして作られた日本独自の文字のことだ。

現在のひらがな・カタカナのことだね。

 

漢字の草書体から平仮名、漢字の一部が変化して片仮名がそれぞれ誕生したんだ。今の平仮名は50音だけど、当時はおよそ200種類くらいあった。その名残が「ゐ」や「ゑ」だよ。

このかな文字が誕生したことにより、より日本の言葉を簡単に自由に表現できるようになったんだ。日本語の細かいニュアンスってあるよね。それが表現できるようになったことは文学界に大きな影響を与えたんだ。

これによって和歌だけでなく、日記や随筆、物語といった様々な文学作品が誕生したんだよ。

 

また、かな文字が誕生しても、公的な文書には漢字や万葉仮名が使われていた。

かな文字は和歌などプライベートの時以外は、主に女性が使用していたんだ。

「男文字」とよばれた万葉仮名に対してかな文字は「女文字」や「女手」と呼ばれた。

国風文化の文学には女性作家が多く活躍したことも特徴の1つだよ。

 

それでは、国風文化を代表する作品について確認しておきましょう。

《和歌集》

○古今和歌集…日本初の勅撰和歌集。

勅撰とは天皇の命令で編纂されることだよ。紀貫之が中心となって作られました。

《物語》

○竹取物語…みんな知ってるかぐや姫のお話。

日本最古の物語と言われている。作者はわかっていないんだ。

 

○源氏物語…主人公の光源氏と数多くの女性との愛を描く長編恋愛小説。

当時のベストセラーで現在でも多く映画化されている。作者は女性作家の紫式部。あの藤原道長の娘で一条天皇中宮(皇后)彰子に仕えたんだ。

《日記》

○土佐日記…「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」という書き出しで有名な日記。

作者は紀貫之。男性だけど女性のふりしてユーモアたっぷりに書いた日記だ。

《随筆》

○枕草子…「春はあけぼの」でおなじみな日本三大随筆の1つ。

作者は清少納言。藤原道長に負けて失脚した一条天皇の中宮定子に仕えたんだ。自らが宮仕えの生活で感じたこと気づいたことを書いている。

 

国風文化の女流作家を代表する2人である紫式部清少納言

紫式部は日記の中で、清少納言のことを「自分の知識をひけらかす下品な人」と痛烈批判してることからライバルと思われがちだが、清少納言はアウトオブ眼中。

この2人が宮使いしていた時期はズレているし、紫式部が一方的にライバル視していたようなんだ。でも、二人の作品を読むとその真反対な性格が見て取れる。

まあ、仲良くはなれんわなって思います(笑)

浄土信仰

藤原氏ら貴族の間で流行った仏教信仰。

阿弥陀如来という仏にすがって、死後極楽浄土(天国)に生まれ変わることを願っていた。

極楽浄土では現世でのあらゆる苦しみから解放されるという。

あの藤原道長も最後は自分と阿弥陀仏の手を紐で結びつけて「南無阿弥陀仏」と唱えながら亡くなったといいます。

どの時代でも死は怖い。

 

道長の息子の藤原頼通は平等院鳳凰堂という立派な阿弥陀堂を建てました。

10円玉に描かれている建物だね。

この阿弥陀堂は寝殿造で建てられているよ。また、庶民の中にも踊念仏で有名な空也というお坊さんによってこの信仰は広まったんだよ。

国風文化の絵画

引用:wikipedia

それまでの唐風の絵とは異なり、大和絵と呼ばれる日本の風景や貴族の生活を描いた絵が貴族の屋敷の襖や屏風に描かれたんだ。

また、宮中行事などの実際にあった出来事や「源氏物語」などの文学作品のワンシーンを描いた絵巻物も多く作られたんだ。

 

国風文化の特徴まとめ!

重要な語句を下にまとめたよ。

  • 国風文化…日本の風土や生活、日本人の感情にあった文化
  • かな文字…漢字からつくられた文字。平仮名と片仮名。
  • 寝殿造…貴族の屋敷の建築様式。平等院鳳凰堂(藤原頼通)
  • 浄土信仰…阿弥陀如来にすがり、死後極楽浄土へ行くことを願う。平等院鳳凰堂。
  • 大和絵…日本の風景や貴族の生活が描かれた
  • 絵巻物…宮中行事なや文学作品のワンシーンを描いた巻物

《主な文学作品》

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