【中学歴史】菅原道真は遣唐使の廃止、からの大宰府左遷で怨霊になる!?

中学の歴史では、菅原道真について遣唐使を廃止した人物ということで学びますね。

 

他にはどんなことしたの?

なんで大宰府に左遷されたの?

菅原道真って学問の神様って呼ばれてるけど、なんでなん??

 

などなど、いろいろと疑問が湧いてくるよね。

ってことで今回の記事ではサクッと菅原道真の人物史をまとめていきます。

ザックリとまとめておくとこんな感じです。

引用:wikipedia

菅原道真(845~903年)

  • 天才と呼ばれた幼少期
  • 大事件を解決、出世の道へ
  • 遣唐使の廃止
  • 藤原氏の策略によって大宰府へ左遷
  • 怨霊として恐れられた

 

菅原道真は天才だった?

菅原道真は幼いころから熱心に勉学に励みました。

菅原家は学者が多い家系だったため

幼いころから勉学に励むための環境は整っていたようです。

その結果、道真はメキメキと知力を高めていきました。

 

大人になってからも努力は続きました。

すると、トントンと出世を重ねていきます。

877年、道真が30代前半のときには文章博士(もんじょうはかせ)という役職に任命されます。

 

文章博士とは、大学の先生のようなものです。

とは言っても、ものすごくエリートが配属される役職であり

ときには天皇や皇太子に対して教育を施すなど

とても重責なポジションだったわけです。

 

そして、時は流れ888年のこと。

宇多天皇は困ったことが起こっていました。

阿衡の紛議と呼ばれる騒動です。

 

天皇は窮地に追い込まれていましたが

これを解決に導いたのが菅原道真だったのです。

まさに彼の頭脳が宇多天皇の窮地を救ったのでした。

 

このことによって、菅原道真は宇多天皇の信頼を勝ち取り大出世を遂げていくのです。

後に醍醐天皇のときには、右大臣にまでのぼりつめます。

 

学者出身の菅原道真が、ここまでの重要な役職に就けたこと

これは当時、異例の大出世と呼ばれました。

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遣唐使の廃止

894年、菅原道真は遣唐使に任命されますが

オレは行きたくねー!!

ということで、遣唐使の廃止を訴えます。

 

理由としてはこうです。

唐は衰退しているから得られることも少ない。

そもそも唐に行くのが大変すぎる。

命をかけて学びに行くほどの価値がありません。

 

菅原道真の訴えは通り

630年から200年以上も続いた遣唐使は

894年に廃止となりました。

この出来事はテストにも出やすいので覚えておきましょう。

白紙(894年)に戻そう遣唐使

 

遣唐使の廃止によって、唐からの文化が入ってこなくなりました。

その結果として、国内で日本独自の文化が育つようになります。

そして、生れたのが「かな文字」ですね。

このように遣唐使の廃止によって生まれた日本独自の文化のことを国風文化といいます。

これまたテスト頻出なので要チェック!

大宰府への左遷と怨霊化

学者出身ながら大出世をとげた菅原道真でしたが

そんな彼の活躍ぶりを

快く思っていない人物がいました。

そうです、藤原家の人間です。

 

藤原家が役職を独占しようとしてんのに

ヨコから学者出身の奴が割り込んできやがった。

マジで気に食わねぇー

こいつ消えてくんねーかな。

うん、消せばええやん!

 

そんな悪だくみを考えている男がいた。

そいつの名は藤原時平

 

なんだかんだ理由をつけて

菅原道真が次の天皇の座を狙っている

というウソをでっちあげました。

 

すると、天皇はビビっちゃうよね。

え、オレって狙われてんの?ヤバいの?

菅原道真ってもしかして敵なの??

 

疑心暗鬼になってしまったらおしまいです。

そんな危険かもしれないやつと一緒にはいれません。

ということで

菅原道真は大宰府へと左遷されることとなりました。

関与を否定し続けた菅原道真でしたが

成す術はありませんでした。

 

そして、菅原道真は失意のまま

2年後、左遷された大宰府にて死去するのでした。

 

藤原時平は大満足。

ジャマなヤツを追い出すことができた。

これにて藤原家の力は絶大なものになるだろう。

そう感じていたことだろう。

しかし、菅原道真が死去してまもなくのこと。

 

なんと、藤原時平は病死してしまいます。

自身だけでなく身内も次々と病死していきます。

さらには、落雷が都を襲うなど

祟りともいえる出来事が次々に巻き起こったのです。

 

もしかして、これって…

菅原道真の怨霊による仕業なのでは…!?

と、考えられるようになったのです。

 

そして、菅原道真の怨霊を鎮めるため

彼の墓には太宰府天満宮が作られ

後に、学問の神として崇められるようになっていったのです。

 

今では学問のイメージが強い菅原道真ですが

初めは怨霊として扱われていたなんてちょっと意外だね。

 

引用:wikipedia

こちらの画は、落雷が都とを襲ったときの様子を描いたものです。

菅原道真の無念が雷神となって、藤原時平を襲っている

こんな感じで考えられていたんだね。

まとめ!

以上、菅原道真のやったこと、出来事についてのまとめでした。

大事なキーワードをまとめておきましょう。

  • 幼少期から天才、大人になっても順調に出世
  • 天皇を助けて、異例の大出世
  • 遣唐使を廃止、国風文化の始まり
  • 藤原時平によって大宰府へ左遷、そして失意のまま死去
  • 菅原道真の無念が怨霊となり、都を襲った?
  • 今では学問の神様として有名

 

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社会の勉強が苦手だ!

とにかく覚えられない。

参考書を読んでいても頭に入ってこないんだよ!


 

こんな悩みを抱えている方も多いのではないでしょうか。

私はめちゃくちゃ社会が苦手なので

こういった悩みにすっごく共感できます(^^;)
 

参考書に載っている用語を覚えなくちゃいけない。

それは理解しているんだけど…

山の名前、国の名前、偉人の名前…

参考書を眺めていても、想像力が働かなくて

ただの文字としてしか頭に入ってきません。
 

これでは、ただの暗記であって

知識にはなっていないのです。
 

にもかかわらず、ほとんどの社会の参考書は

大事なポイントが文字でまとめてあるばかり。

社会が苦手な人にとっては、マジ苦痛ですよねw
 

と、まぁ

参考書を眺めてばかりで

一向に理解が深まらなかった私は

社会の学習を半ば諦めていました。

 

しかし

ちょっと学習する方向性を変えてみました。

すると!

楽しいくらいに理解が深まるようになってきました。

参考書では学ぶことができなかった

深い部分までの理解、そして知識のつながりが

頭の中にすっと入ってくるようになったのです。

 
理解が深まってくると、学ぶ意欲も高まり

どんどんと積極的に社会を学ぶようになりました。

こうなってくると、参考書に書いてあった

今まではただの文字としてしか認識できなかった情報も

サクサクと理解できるようになってきました。

まさに相乗効果!って感じですね(^^)

 
さて!

私は、参考書を解きまくるという学習方法から

新しい学習方法に切り替えたことで結果が出始めたわけですが

その新しい学習方法とは…??

 

社会を聴く!!

 

という学習方法です。

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社会の授業を聴くことにしました。

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プロの社会講師が授業をしているので

話が面白い!!

雑学的な感じで、いろんな知識を話してくれるので

どんどんと興味がわいてきて

知識欲が深まってきます。

 
その結果

社会の知識が身についてくるし

社会のことが好きになってきます(^^)


この状態にまでなると

あとは、いろんな参考書を

1人で読んでいても勉強が苦ではありません。

 

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