いよいよ武士が政権を握るようになった鎌倉時代。どんな時代だったのか。しっかり解説していくよ!
鎌倉時代の主な出来事年表
- 1185年 平氏滅亡
- 全国に守護・地頭を設置
- 1192年 源頼朝が征夷大将軍に任命される
- 1219年 三代将軍源実朝が公暁に暗殺される
- 1221年 承久の乱
- 六波羅探題設置
- 後鳥羽上皇が隠岐に流される
- 1232年 御成敗式目が制定される
- 1281年 元寇襲来
- 1297年 永仁の徳政令が出される
- 1333年 鎌倉幕府が滅亡する
この記事では、鎌倉幕府の成立と、承久の乱、元寇の3つの出来事について詳しく解説するぞ。
鎌倉幕府の成立と源頼朝
1185年、平氏を壇ノ浦にて滅亡させた源頼朝。
いよいよ政治の実権を握りますが、1つ問題が。
それは、源平合戦で大活躍を見せた弟である源義経。このころ、2人の関係はだんだんと悪化し、対立は避けられない状態となっていました。
そして、ついに頼朝は義経を討つという命令を出します。
そして義経を捕まえるために全国に今でいう警察のような役割である守護地頭を設置したんだ。
まあ義経を捕まえるためという目的もあったんだけど、それよりも鎌倉幕府に仕える御家人を全国において幕府の権力を強めるためという理由もあったんだ。
そうして頼朝は奥州藤原氏の元に逃げた義経をかねてから厄介者だった藤原氏もろとも滅ぼしたんだ。
これですっかり邪魔者がいなくなった頼朝は1192年征夷大将軍に任命され、鎌倉を拠点として幕府を開きます。
これを鎌倉幕府というんだ。
鎌倉幕府は将軍である源頼朝と将軍に忠誠を誓った家来である御家人で構成されていて、この将軍と御家人は「御恩」と「奉公」といわれる主従関係で結ばれていたんだ。
将軍から御恩として土地を与えてもらう代わりに幕府や御所の警備をしたり、将軍のために戦に出陣することだよ。
土地を介して主従関係を結ぶことを封建制度というよ。
こうして将軍と御家人の固い絆によって鎌倉幕府は成立していったんだ。
北条氏の執権政治と承久の乱
こうして誕生した鎌倉幕府なんだけど、
初代将軍頼朝の直系はなんと3代で途絶えてしまうんだ。
そうなると誰が政治の実権を握ったのか。
それは北条氏だ。北条氏は頼朝の妻である北条政子の実家だ。
元々はまだ平氏が勢力を誇っていた時代。
北条氏は、伊豆に流されていた頼朝の監視役だったんだけど、娘の政子と頼朝が結婚してからは頼朝に協力するようになった。
そして頼朝の死後、跡を継いだ二代目将軍はまだ若いからその補佐をするために執権という役職をつくり、政子の父が初代執権となった。
でも、2代目将軍は北条氏に反抗的で、ついに暗殺されてしまった。
そして弟の実朝が3代将軍となったんだけど、今度は2代目将軍の息子に殺されてしまった。
こうして3代で源氏の直系が途絶えてしまった後は、京都から摂関家や皇族の子弟を迎え将軍としたんだ。
でも、この将軍はただのお飾りで、実権は北条氏が握り続けた。
そうして北条氏が執権として政治を動かしたことを執権政治といいます。
幕府の支配は関東だけでなく全国に及んだ。もちろん京都の朝廷も例外ではない。
頼朝の時は朝廷との関係を配慮してたんだけど、北条氏が実権を握るようになってからは、朝廷にとって幕府は目の上のたんこぶのような邪魔者になってしまったんだ。
そして事件はおこった。
2代執権北条義時の耳に京都の後鳥羽上皇が全国の武士に義時を討てと命令したという情報が飛び込んできた。
後鳥羽上皇は当時院政をしていた上皇なんだけど、めちゃくちゃ優秀で、スポーツ万能、和歌にも秀で、武士さながら流鏑馬なんかの武芸もおてのもの。
朝廷の権力はこの方が握っていました。
そして上皇は3代将軍殺害後の混乱に乗じて邪魔な幕府、なんといっても北条氏をつぶそうとしたんだ。
後鳥羽上皇が起こしたこの争いのことを承久の乱といいます。
この幕府最大のピンチに現れたのが初代将軍頼朝の妻政子。
「いざ鎌倉」と幕府のピンチに駆けつけたけど、
何がなんだかよくわからず、京都の帝と戦うってどういうことだとオロオロしている御家人たち。
その姿を静かに見渡しながら、政子は語りかけます。
皆の者。これは私の最期の言葉です。
頼朝公が幕府を開いてからというもの、そなたたちの待遇や給与は遥かに良いものとなったでしょう。
その恩は山よりも高く海よりも深い。
今こそ頼朝公への御恩を返すときです。
この恩に報いたいと思うものは幕府を滅ぼそうとしている者たちを早々に討ち取りなさい。
これを聞いても朝廷に加担するというものは構いません。
早く立ち去りなさい。
とっても有名な演説だ。
政子が尼将軍と呼ばれたのも納得だよね。
政子の言葉に御家人たちは涙を流し、一致団結をして鎌倉を守ったんだ。
負けた後鳥羽上皇は隠岐の島に流され、その他後鳥羽上皇に加担した者たちも配流や処刑など厳しい処置が下されたんだ。
そして朝廷を監視するために新たに六波羅探題という役所を京都に設置したんだ。
ますます幕府の力は強まり、これ以降は幕府は朝廷をうまく利用しながら政治を行っていったんだ。
このスタイルはこの後の武家政権の基本となったんだよ。
また、3代執権北条泰時が武士の法令を定めた御成敗式目を制定した。
この法令は裁判の基準や御家人の権利と義務について示されている。今までの公家のための法令とは違い、この法令は武士の生活や慣習に沿ったものとなっているよ。
北条泰時はとても優れた執権で幕府も安定した時代が続いたんだ。
元寇と永仁の徳政令
承久の乱という最大のピンチを乗り越え、その影響力を全国に轟かしていた鎌倉幕府だけど、その力も段々と陰りが見えてきたんだ。
そんなとき起こったのが元寇だ。
元寇とは二度にわたって中国の王朝である元が日本に攻めてきた事件だ。
元は進行する前に日本へ国書を送ってきた。
「元に服属しないと兵で攻め込むぞ」
時の執権北条時宗はこの非常識な国書を無視し続けた。
すると業を煮やした元は1274年、3万の兵を率いて博多に上陸しついに戦争となった。
もうこれに九州の御家人の軍は大苦戦。
一対一で戦う日本に対して元は集団で襲い掛かる。
また、元はてつはうと呼ばれる火器を用いていたんだけど、
御家人はそんなの見るの初めて。その爆音で人も馬もビビりまくり。
日本の国内でしか戦経験が無い御家人と、中国全土を統一し、なおその支配を西はヨーロッパまで広げている元とはその差は歴然。
戦争で使う道具もやり方も何から何まで違う。
御家人たちの健闘むなしく、博多は火の海となり、一般人は殺されたり捕虜になったりむごい有様だったよう。
このまま元に支配されてしまうのか…
そう恐れをなして夜を過ごした御家人たちは翌朝、信じられない光景を見た。
あんなにたくさんいた元の船が一隻も見当たらない。
一説によると暴風雨が吹いて多くの元軍が沈んだとある。
これを日本は「神風」と呼んだんだ。
さて、自然の力を借りながらもなんとか元軍から日本を守った御家人たち。
命がけの御恩をしたんだからそれ相応の奉公があるはず。
でも御家人に与えられたのは狭い土地ばかり。それどころか恩賞がなかった御家人さえいた。
でも幕府だって困っていた。
与える土地がない。
今回は追い払っただけだから奪った土地がないんだ。
でも御家人は納得できない。あんなにがんばったのに…。
幕府に不満を募らせながら、次の元襲来に備えて準備を進めます。
そしてついに1281年、もう一度元襲来!
しかも次は14万の大軍!
対する御家人は鎌倉から来たのも合わせて6万5千人。
なんとか九州で食い止めようと奮闘する御家人。
するとそこへまた来た神風!
なんと元は台風に直撃され壊滅状態となり、戦意喪失した軍は日本から撤退していった。
こうして2度の元の襲来を乗り越えた幕府だけど、今回もやっぱり土地がない。
領地がもらえない御家人たちの生活は苦しくなるばかり…。
元の襲来でかかった費用(食費や武器代)は全部自分持ちだからね。
この御家人の困窮した生活を助けるために幕府が取った政策が永仁の徳政令だ。
徳政令っていうは簡単に言うと借金を帳消しにするっていう法令だよ。
御家人たちは生活のために土地を売り払ったり、土地を担保にお金を借りたりしていたんだ。
この徳政令は御家人が売った土地を無条件で取る返せる、新たに土地を売ることは禁止、金融業者の訴えは一切聞き入れないというもの。
御家人には優しく、金融業者には厳しいこの法令。
うまく御家人を救済することが出来たのか。
結果は大失敗。
土地が戻ってきたはきたけど、元々マイナスだったのが0になっただけだし、今までのように土地を担保にお金が借りれなくなった。
しかも金融業者だって自分たちが損するだけなのにお金なんて貸したくないよね。
結局、経済は大混乱。
御家人、ますます困窮。
幕府もしまったと思ったんだろうね。
翌年、土地を無条件で取り返せるという項目だけを残して、他の項目は廃止したんだ。
永仁の徳政令は大失敗に終わった幕府。
御家人の不満はたまる一方で、だんだんと滅亡へと向かっていくのでした。
鎌倉幕府のまとめ!
重要語句を下にまとめたよ。
- 鎌倉幕府…源頼朝が征夷大将軍となって鎌倉を拠点に開かれる。
- 御恩と奉公(封建制度)
- 執権政治…北条氏が将軍を補佐する執権として政治を行う
- 御成敗式目…北条泰時によって制定。御家人の裁判の基準を示す。
- 承久の乱
- 元寇
- 永仁の徳政令
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