フランシスコ・ザビエルって知っているかな?
日本へキリスト教を伝えた人なんだけど、肖像画は見たことあるって人が多いと思う。
では、どんな人物でどんなことをしたのかを詳しくお話していくよ。
フランシスコ・ザビエルの生涯年表まとめ!
キリスト教を世界へ~イエズス会の設立~
ザビエルはスペインとフランスにまたがるバスク地方というところで生まれたんだ。
スペイン人と誤解されがちなんだけど、彼は独自の文化や文字を持つバスク人という民族なんだ。
ザビエルはバスク人たちの王国の貴族として生まれます。しかし、彼が幼いころに王国はスペインへと併合されてしまいました。スペインは当時、ヨーロッパで最も強い力を持っている国の1つだったんだ。
スペインとの長年の戦争によって、住んでいた城は破壊され、さらにはストレスによって父は死んでしまった。このようにザビエルは壮絶な幼少期を過ごし、この体験から自身は軍人になることを嫌い、パリの大学へ留学し哲学を学ぶこととなります。兄弟たちはザビエルを軍人にしたかったようなんだけどね。
そして、彼は教授の職につくわけなんだけ、
そんなある日、運命的な出会いを果たします。
元は勇敢な騎士で、現在はキリスト教の宣教師をしていたロヨラという人物だ。
彼との出会いにより、キリスト教の教えにのめりこんでいくザビエル。
幼い時のつらい体験も関係していたんだろうね。
キリスト教に救われた彼は、この教えを世界中の人々にも知ってほしいと考えた。
そして教授の職を捨て、ロヨラや他の仲間たちとともにイエズス会を設立し、世界中にキリスト教を広める旅へと出発したんだ。
1人の日本人との出会い~日本へキリスト教を伝えよう~
世界中へキリスト教を広めようと心に誓ったザビエル。
その布教活動は順風満帆というわけにはいきませんでした。
インドのゴアというところでヒンドゥー教からの反発にあいます。しかし、それでも彼の決心は固く、歩みを止めることなく布教活動を進めていきます。
すると、そこである1人の日本人と出会った。
彼の名はヤジロー
ヤジローは日本で人を殺してしまい日本から逃げてきたが、今は罪を深く反省し救いを求めてキリスト教に入信したいと涙ながらに語ります。
ザビエルはこのヤジローの姿に深く感動して、ヤジローだけでなく日本にいる人々にも救いの手を差し伸べたいと決意したんだ。
一方、そのころの日本は応仁の乱という大規模な戦乱の後、戦ばかりの戦国時代へと突入し、国も人々の心も荒れ果てていた頃でした。そのため、何とか救いをもたらしてあげたいと思ったことでしょう。
そこへザビエルの乗った船が薩摩へと到着。
薩摩の大名である島津氏から布教の許可をもらったザビエルは、さっそくキリスト教の布教活動を始めたんだ。
でも、薩摩にいた仏教の僧侶たちがこれに猛反発!
なぜ、そんなに薩摩の僧侶たちが反発したのか。
そもそもは言葉の壁から生じる誤解が原因の1つだった。ヤジローはザビエルたちのことをインドから来た偉いお坊さまだと説明していた。
インド=仏教発祥の地(仏教の開祖ブッタはインド生まれ)だから、薩摩の僧侶たちは本場から来た尊いお坊さんと思い込み、ものすごく歓迎したんだ。
でも、なんとなく話がかみ合わない。
そして決定的となったのが、恋愛について。
仏教の僧侶は女性との恋愛は禁止。でもその代り男性との恋愛はなんとOKだった。
これに驚いたのがザビエル。
キリスト教は男同士の恋愛なんてもってのほか。絶対ダメ!って薩摩の僧侶にも言ったもんだから、ようやく薩摩の僧侶たちも宗教が違うことに気づいて、この異教徒め!っと追い出したってわけだ。
薩摩を追い出されたザビエルは長崎や山口についてそこで活動を始めます。
そして日本全土に布教せんと、天皇や将軍に許可をもらいに京へ。
でも、京は長年の戦乱で荒れ果て、天皇も将軍とも会うことができなかったんだ。
ザビエルはショックを受けながらももう一度山口に戻り、大名だった大内氏に眼鏡や時計・オルガンなどの贈り物をして正式にキリスト教を認めてもらったんだ。
そして廃寺となっていたお寺を与えられ、そこをキリスト教の寺院として本拠地としたんだ。
戦乱続きで荒んでいた人々にとって
「神を信じれば救われる」という教えは浸透しやすかったんだね。
寺院には連日連夜たくさんの人が訪れ、ザビエルの話に熱心に耳を傾けていたそうだ。
山口での布教活動も軌道に乗り、信者も600人ほどにまで増えていった。ザビエルも知識欲が強く、熱心に話を聞いてくれる日本人が大好きになり、ものすごく熱心にキリスト教を教えていったんだ。
アジアへもっとキリスト教を!~中国での布教を夢見ての死~
日本での布教活動も2年が経ち、ザビエルはいったんインドへ帰ることになった。
日本全土にキリスト教を広めるためには、人も物資も全然足りない。もう少し体制を整えてから出直してこようと考えたんだね。それにやっぱり気候も言葉も違うところで暮らしていくのも体力的に辛かったようだ。
こうしてザビエルは4人の日本人を連れ、アジアの布教活動の拠点としていたインドのゴアへ帰っていった。
でも、その帰りの船の中で今なら中国に入国できるかもしれないという情報を得たんだ。
当時、アジアで最も影響力がある国はやはり中国だったし、ザビエルもゆくゆくは優れた国である中国にキリスト教を広めたいと思っていたんだ。
しかし、1つ問題があった。
中国は外国船の入国を禁止していて、入国はおろか商人たちの個人的な貿易さえも厳しく取り締まっていたんだ。
でも今、その体制が揺らいでいるという。今なら入国できるかもしれない。
それに中国でキリスト教が受け入れられたら、中国から文化などで大きな影響を受けている日本でももっと信仰が広がっていくかっも知れない。
全てにおいて今がチャンス!
ザビエルは急ぎゴアへと戻り、宣教師も物資も整えていざ!中国へ!と中国に向けて船を出発させた。
しかし、当時の船旅はまさに命がけ。途中、二度に渡り船が座礁したり、ペストという恐ろしい病が流行してしまったり。
でもその困難にもめげず、ようやく上川島という中国領の島にたどり着いた。
ここで中国人の商人たちに本土に渡るために協力してほしいと頼んだんだけど、なかなか思うようにことは進まなかった。
実は中国の外国人禁止令はまだまだ効力を発揮中で、商人たちはみな外国人を乗せていることがばれたら死刑になると断固拒否したんだ。
それでもザビエルは粘り強く交渉を続けたんだけど、長年の無理がたたってついに病に倒れてしまった。
日に日に弱っていくザビエル。
それでもか細い声で主であるイエスや聖母マリアに布教活動が上手くいくように願い続けていたそうだよ。
でも、ついにそのまま上川島で息を引き取ってしまったんだ。享年46歳。
遺体は現地で埋葬されたんだけど、掘り起こされてマラッカ、その後ゴアに送られ、いずれの地でも聖職者や市民までも参列した盛大な葬儀が行われたんだ。
現在も遺体はゴアにある世界遺産であるボン=ジェス協会に安置されていて、10年ごとに遺体の公開が行われているよ。
ちなみに次の公開は2024年だ。
ザビエルについての雑学
髪型のウソ!
引用:wikipedia
ザビエルの肖像画を見たことあるかな?
頭のてっぺんの髪をそり落としていて、周りはふさふさ。いわゆるカッパのような髪型で描かれているんだけど、実はアレ間違いなんだ。
あの髪型はトンスラと言ってキリスト教の宣教師の正式な髪型なんだけど、ザビエルたちにはその習慣がなかったみたいなんだ。
あの肖像画はザビエルの死後80年経った1619年以降に日本人によって描かれたもの。
つまりその当時日本にいた宣教師たちをモデルにして描かれていたため頭もトンスラで描かれてしまった。
本当のザビエルは髪の毛ふさふさのかなりのイケメンだったみたい。ヨーロッパで描かれたザビエル像はみんなふさふさなんだって。
ホントのザビエルは超イケメン!
引用:https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/xavier/
ザビエルと鉄砲は間違い!
ザビエルはキリスト教とともに鉄砲を伝えたと思っている人もいるみたいなんだけど、それは間違い。
鉄砲はザビエルが薩摩に着く6年前に日本の種子島にポルトガル人によって伝えられている。
ザビエルが来日するころには、日本人たちによって高性能な鉄砲が独自に造られるようになっていたんだ。
ザビエルも手土産として鉄砲を持ってきたんだけど、その性能は日本製のより劣っていて日本人たちは喜ばなかったみたい。
それよりも眼鏡や時計などが大変珍しく、特に眼鏡はザビエルによって初めて日本に伝えられてかなり重宝されたんだ。
ザビエルの名言
遠路はるばる日本にやって来て心から日本人を救おうとしていたザビエル。そんな彼は日本人に対して数々の名言を残している。少し紹介しよう。
「キリスト教の国であっても、そうでない国であっても、
盗みについてこれほど節操のある人々を見たことはありません。」
「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、
日本人より優れている人を異教徒の間では見つけられない。」
彼が日本人についてどう思っているか感じることができるこの言葉たち。心に響いてくるね。
まとめ!
何度困難に見舞われながらも、インド、日本、中国と言ったアジアの国々にキリスト教を広めることを諦めなかったザビエル。
日本へ正しい仏教を伝えようとした鑑真とも似ていますね。
人々を救うために命をかけたザビエルの不屈の精神。私たちも見習わなければですね。
数学が苦手な人には絶対おススメ!
ニガテな数学を基礎から見直しませんか??無料で基礎問題&動画講義をお届け!
今なら高校入試で使える公式集をプレゼント
数スタのメルマガ講座を受講して、一緒に合格を勝ち取りましょう!
コメントを残す