今回の記事では、「空海(くうかい)」のしたこと、出来事について中学生向けにまとめていきます。
空海といえば、平安時代に新しい仏教を広めた人物として有名ですね。
「空海は高野山(こうやさん)に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建て、真言宗(しんごんしゅう)を広めた。」
テストにおいては上の一文だけを覚えておけば事足りるかもしれません。
しかし、空海という人物は真言宗を広めた以外にもたくさんの功績が残っています。
今回の記事では空海という人物について、ちょっぴり深掘りしていきましょう。
ザックリとまとめておくとこんな感じです。
引用:wikipedia
空海(774~835年)
- 遣唐使として、唐で仏教を学ぶ
- 高野山の金剛峯寺にて真言宗を広めていった
- 最澄との違いに注意
- 讃岐にため池を直して人助け
- 庶民のための学校も作った
- 弘法も筆の誤りとは空海のこと!
空海は遣唐使として学び、真言宗を広める
804年、空海は 遣唐使として中国に渡り
そこで最先端の仏教を学びました。
空海は大変に頭がよく
わずかな期間であらゆる学びを得て
日本へと帰国することとなります。
すると、当時の天皇であった
嵯峨天皇が空海を重用してくれます。
空海は大変に優秀な人物であったため
中国から帰国したときにはたくさんの注目と期待が集められていたんだって。
そのこともあって空海は
高野山に金剛峯寺を建てて、真言宗を広めていくこととなりました。
このキーワードはテストに頻出だから絶対に覚えておこう!
また、このとき空海と同じくして
中国に渡っていた最澄(さいちょう)が一足先に日本に戻り
比叡山(ひえいざん)に延暦寺(えんりゃくじ)を建てて、天台宗(てんだいしゅう)を広めていました。
最澄 | 空海 | |
宗派 | 天台宗 | 真言宗 |
道場 | 比叡山延暦寺 | 高野山金剛峰寺 |
2人に関するキーワードの対比はテストでも問われやすいポイントだから、しっかりと覚えておきましょう。
ちなみに、空海が広めた真言宗とは
今までの仏教とは形が大きく異なり、政治に口出しをしたりするのではなく
山にこもって厳しい修行をすることで、災いや病気などを取り除くことができるという考え方でした。
政治に口出しをしない…
こういった点が朝廷としては非常にありがたかったでしょうね。
これまでは仏教勢にいろいろとかき乱されてきましたから…
嵯峨天皇が空海を重用したのには
こういった「都合がいい」という思惑もあったのかもしれません。
空海は仏教だけじゃない、人助けの功績も素晴らしい!
空海といえば仏教の人というイメージが強いですが
真言宗を広めたという他にも
たくさんの功績を残しています。
例えば、ため池づくりがその1つに挙げられます。
現在の香川県にあたる讃岐国。
ここは空海の出身地でもあります。
この讃岐国では水不足が深刻な問題となっていました。
このことを不憫に思っていた空海は
唐で学んできた土木技術を用いて、満濃池(まんのういけ)と呼ばれる人口のため池を修復したのです。
仏教だけじゃなくて、土木技術も学んでいたなんて…
空海の優秀さがよく分かるエピソードですね。
他にも、空海は庶民のための学校を作っています。
これは日本では初めての庶民向けの学校だったようです。
このように空海は真言宗を広めたという以外にも
とにかく庶民のためにと行動をし続けていたのです。
「弘法も筆の誤り」とは空海のことだった!
「弘法も筆の誤り」
という言葉は聞いたことがあるでしょうか?
書の名人であった弘法大師でも、ときには失敗もする。
ということで、どんだけ腕の立つ人でも失敗はあるよね~っていう意味です。
実は、この弘法大師とは空海のことを指しているのです。
弘法大師とは、空海の死後に天皇から授かったおくり名のことなのです。
空海は書の腕も素晴らしかったんだってさ!
超優秀な上に、書までも達人級のレベル…
さらには語学が堪能で彫刻や画なども上手かったらしい。
そして、庶民のために行動し続ける精神…
んー、非の打ちどころがないっすなぁ
まとめ!
以上、空海のやったこと、出来事についてのまとめでした。
大事なキーワードをまとめておきましょう。
- 最澄とともに遣唐使として中国で学ぶ
- 空海は高野山の金剛峯寺で真言宗
- 最澄は比叡山の延暦寺で天台宗
- 讃岐のため池を修理、庶民の学校を作るなど人助け
- 弘法大師というおくり名を持ち、非常に多才であった
数学が苦手な人には絶対おススメ!
ニガテな数学を基礎から見直しませんか??無料で基礎問題&動画講義をお届け!
今なら高校入試で使える公式集をプレゼント
数スタのメルマガ講座を受講して、一緒に合格を勝ち取りましょう!
コメントを残す