今回の記事では、「桓武天皇」のしたこと、出来事について中学生向けにまとめていきます。
中学の歴史では、桓武天皇といえば
「都を平安京に遷都した人物」として学びます。
その他にも覚えておきたいポイントがいくつかあるので、まとめておきます。
ザックリとまとめておくとこんな感じです。
引用:wikipedia
桓武天皇(737~806年)
- 長岡京⇒平安京へと遷都
- 律令国家を再建
- 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命
- 蝦夷を征伐
桓武天皇は長岡京、平安京へと遷都、時代は平安時代に。
桓武天皇が即位した当時
結構、荒れていたんだよね。
仏教の力が強くなりすぎていて、貴族や寺院などが政治介入してくる。
結果として不安定な状態が続いていました。
【参考】【中学歴史】聖武天皇がしたこと、出来事についてのまとめ!
つまり、大化の改新によって進められていた中央集権国家の実現が危ぶまれていたってわけ。
桓武天皇は、この政治体制を立て直すために動き出します。
今の都(平城京)仏教勢力が強すぎる
だから、遷都するのじゃ!!
というわけで、まずは長岡京へと遷都をします。
しかし、これは上手くいきませんでした。
長岡京を造営する責任者が暗殺される。
さらには、桓武天皇の身内が次々と謎の死をとげる。
病気が流行し、天災もとまらない。
遷都を決定した途端に
なぜか不幸が連続して起こってしまいます。
これは祟りなのでは…?
流れを変えなければ…
というわけで、長岡京への遷都からわずか10年後
794年に平安京へと遷都されることとなりました。
平安の世を願う気持ちから、平安京というんだよ。
この出来事はテストに頻出だから覚えておこう。年号もセットで覚えようね。
「鳴くよ(794年)うぐいす平安京」
そして、平安京に都が移されてから、次の鎌倉幕府が開かれるまでの約400年の間を平安時代といいます。
平安京がある場所は現在の京都府
(長岡京も京都府)
実は、このとき都が京都に移されて以降
明治になって東京へと都が移されるまでの間ずーっと
都は京都にあり続けたんだよ。
<遷都の流れ>
平城京 ⇒ 長岡京(784年) ⇒ 平安京(794年)
坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命、蝦夷を征伐
桓武天皇は長岡京、平安京への遷都以外にも注力したことがあります。
それが…
蝦夷の征伐です。
蝦夷とは東北から北海道にかけて住んでいた人々で
大和政権の時代から、朝廷に対して反抗的な態度をしめしていました。
これまで朝廷側も、蝦夷を力で制圧しようと
何度も戦いを挑んできたのですが
蝦夷側の必死の抵抗によってはね返されていました。
桓武天皇は蝦夷との戦いに決着をつけるべく
坂上田村麻呂という人物を征夷大将軍に任命
蝦夷の征伐に向かわせます。
そして、坂上田村麻呂は蝦夷を制圧することに成功したのでした。
ちなみに、ここで出てくる征夷大将軍という役職だけど
後々、武士のトップを表す言葉として使われるようになります。
まとめ!
以上、桓武天皇のやったこと、出来事についてのまとめでした。
大事なキーワードをまとめておきましょう。
- 平城京⇒長岡京⇒平安京へと遷都
- 平安京に遷都してからの時代を平安時代という
- 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命
- 蝦夷を征伐
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