幕末から明治維新まで活躍した人物として、現在もファンが多いこの西郷隆盛。
西郷隆盛は薩摩藩の身分が低い武士の家に生まれ、
逆賊扱いされ何度も島流しに合ったんだけど、
江戸幕府を倒して日本に新政府を作るために活躍した武士たちの中心人物だったんだよ。
それなのになぜ西南戦争を起こし、明治政府と戦ったのでしょうか。
今回の記事では、その辺りを詳しくまとめていきます。
まずは、西郷隆盛が何をしたのかざっくりまとめるとこんな感じだ。
西郷隆盛(1827~1877年)
- 薩摩藩の武士
- 明治維新の中心人物
- 江戸城無血開城に成功する
- 征韓論が受け入れられず新政府を後にする
- 西南戦争を起こす
いざ、倒幕へ~薩長同盟を結ぶ~
西郷隆盛が生まれた薩摩藩は倒幕における中心的な藩だったが、もう1つ倒幕をかかげる藩だった長州藩とは仲が悪く対立していたんだ。
でも、幕府を倒すためには、藩同士で小競り合いをしている場合じゃない。
薩摩と長州という強い力を持っている藩同士の協力が必要と考えた人物がいた。
それが坂本龍馬だ。
龍馬は薩摩藩の代表である西郷隆盛と長州藩代表の桂小五郎を熱心に説得したんだ。
でも両者ともなかなか折れなかったんだけどね。
それでも度重なる龍馬の説得に耳を傾けた西郷はついに長州藩と同盟を結ぶことを決意した。
そして、西郷から長州藩に6ヶ条の条文を提案し、これを長州藩が受け入れる形で同盟が結ばれたんだ。
倒幕に向けて巨大な2つの藩が協力することで、一気に倒幕に向けて加速したんだ。
江戸幕府の終焉~江戸城無血開城に成功~
江戸幕府は政権を朝廷に返した。これを大政奉還という。
そして西郷隆盛を初めとする倒幕で中心人物だった武士たちは王政復古の大号令を出して新政府を樹立する。
しかし、この新政府と旧幕府で対立が深まりついに戊辰戦争という戦争が起こってしまったんだ。
西郷はこの戦争でも大活躍。
新政府軍のトップとなり、鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍に大打撃を与えた。
そして残すは江戸城総攻撃のみというとき、旧幕府軍の交渉人である勝海舟と会談をした。
新政府軍が江戸城を攻めると江戸の町が火の海となってしまう。
西郷としても江戸の町を戦火で焼き無駄な犠牲を出したくはなかったんだよ。
そして旧幕府軍は新政府軍の出した条件をのみ、新幕府軍の総攻撃は中止され江戸城は無血開城となった。
一滴の血も流すことなく城が明け渡されることは世界的にも非常に珍しいことなんだよ。
これを西郷は成し遂げたんだ。
明治維新は成功したが…?~征韓論で敗れる~
新政府の重鎮となって、日本の近代化を進める西郷だったが朝鮮をめぐる対策で窮地に立たされる。
西郷は朝鮮を武力で以て開国させようとした。これを征韓論という。
当時、日本とロシアは島の領土権を奪い合うなど、両者の間に緊張が絶えなかった。
もしロシアが朝鮮を占領してしまうと日本本土に攻めてくるかもしれない。
おまけに朝鮮は日本の新政府を認めておらず、反日感情が強くなっていった。
だから、武力をもってしてでも開国してもらおうと考えたんだ。
西郷自身は兵を送る前に自ら朝鮮に行って話をしようと思っていたんだけどね。
でも、この征韓論は結果的に新政府には受け入れてもらえなかった。
反対派は日本の国力の低さを目の当たりにして、朝鮮と言えど外国と戦争なんてしてる場合じゃないと考えたんだね。
征韓論が敗れた西郷は新政府をやめ、薩摩に帰っていったんだ。
新政府へ物申す!~西南戦争勃発~
西南戦争を起こした理由
征韓論に敗れた西郷が新政府をやめると、それに続いて約600人もの軍人や官僚が辞めだしたんだ。
西郷の人望の厚さが良くわかるね。
いずれも新政府に不満をもっていた人物たちなんだけど、
彼らが故郷に帰って、なんと反乱の首謀者たちとなっていくんだ。
新政府になってから武士は士族と呼ばれ、江戸時代に認められていた特権を取り上げられてしまった。
新政府は市民平等を掲げていたからなんだけど、士族たちは新政府への不満がたまっていた。
薩摩に帰った西郷は新政府に不満を持つ士族の多さに唖然とする。
このままでは何をしでかすかわからない。
そう思った西郷は、私学校と呼ばれる陸軍士官養成所を薩摩各地に作ったんだ。
うつうつとしている若者たちのストレス発散の場所として学問の教育や軍事訓練を目的として作られたんだ。
しかし、西郷はほとんど関与することなく後進に任せていたので、
西郷の意志とは反対に、反政府的な行為が行われるようになっていった。
しかも、これを新政府が見逃すわけもなく、すぐさま密偵が放たれた。
あの西郷の元に士族が…。
不穏な動きだ!ってなったんだね。
そして、その密偵は不穏な動きがあれば西郷を暗殺するようにと言われていた。(諸説あり)
この密偵が私学校の生徒に見つかって西郷暗殺計画もバレてしまったんだ。
士族たちブチ切れ。
もう怒りで大爆発の士族たちを前にして、情に厚い西郷はもう戦争を回避する術はなかった。
士族たちのトップとなり挙兵を決めた西郷は、熊本城に進撃し新政府との戦争を始めたのでした。
西南戦争の結果
最初は、西郷軍が優勢だったんだけど、
新政府軍に次から次へと援軍が来るにつれ段々と劣勢になり熊本から動けなくなってしまった。
ついに熊本城も奪い返され撤退を余儀なくされた西郷軍。
じりじりと追いやられ、鹿児島まで新政府軍が進撃し、味方の兵も300までに減った。
新政府軍からは、幼馴染で大親友の大久保利通が放った西郷を助けるための使者も出向いてきたんだけど、西郷はこれを拒否。
ここで自分だけが助かってしまったら、なんのために若い命が次々と散って行ってしまったのか…。
そしてついに西郷最期の時。
新政府軍の最後の総攻撃を迎え撃って次々と倒れていく教え子や仲間たち。
西郷自身も激しい戦闘のすえ、腹と股に銃弾を受けてしまいます。
「もう、ここいらでよか。」
側近にそう告げ介錯を頼むと、切腹しその生涯を閉じました。
こうして西南戦争は終わったんだ。
新政府の大久保利通は西郷の死を知って倒れるほど号泣したそうだよ。
まとめ!
以上、西郷隆盛についてまとめました。大事なキーワードを下にまとめておきましょう。
- 明治維新の中心人物
- 戊辰戦争で大活躍→江戸城無血開城に成功する
- 征韓論=武力で朝鮮を開国することを唱える→敗れて新政府をやめる
- 西南戦争を起こす→士族たちの新政府への不満が爆発。敗れて自害する。
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