【中学歴史】福沢諭吉は何した人?学問のすゝめってどんな内容?

福沢諭吉の顔は日本では知らない人はまずいないだろう。

なんたって、一万円札の人として知らない人はいないからね。

でも、顔は知っていても

何をした人なのかまではわからない人もいるんじゃないかな?

 

この記事では、福沢諭吉が何をして有名になったのか、福沢諭吉=学問のすゝめで知られる理由をお話しするよ。

福沢諭吉の経歴をざっくりいうとこんな感じだ。

福沢諭吉(1834~1901年)

  • 蘭学者・思想家
  • 3回にわたって欧米に渡り、「西洋事情」を記す
  • 慶応義塾を創設
  • 「学問のすゝめ」を記す

下級武士出身の勉強家~天は人の上に人を作らず~

福沢諭吉は幕末に、下級武士の貧しい家に生まれた。

諭吉の父親は頭が良く、学問に秀でていたんだけど、

当時は身分の差が当たり前のようにあった時代。

下級武士の頭が良くても宝の持ち腐れ。

身分の低い事を理由に藩で学問を学ぶことを拒否されたりと大変苦労してたみたい。

 

そして、なんと諭吉1歳の時に父親は急死してしまった。

だから、諭吉は当時の身分制度が大っ嫌いだったんだよ。

 

小さい諭吉は貧しいながらも必死で勉学に励み、勉学だけでなく、家の手伝いも良くする大変優秀な人物だった。

19歳になった諭吉は長崎や大坂で蘭学を学んでいた。

そこでも成績優秀だったが、横浜で諭吉はある経験をする。

そこは開かれた港で、外国人がたくさんいた。

諭吉が意を決してオランダ語で話しかけても全く通じない。

それもそのはず。

当時から世界の共通語は英語だったからなんだ。

諭吉も時代は蘭語ではなく英語だ!と一念発起し、そこから独学で英語を学んだんだよ。

 

25歳の時についに幕府から認められて、アメリカに視察しに行くことになった。

日本と違い、アメリカは自由と平等の国。

諭吉はものすごく衝撃を受けただろうね。

翌年には次はヨーロッパに渡り、欧米諸国の文化に触れた諭吉は、帰ってからその経験を本にまとめて発表した。

この本を「西洋事情」といいます。

「西洋事情」は20万部を超える大ベストセラーとなり、15代将軍徳川慶喜も読んだと言われているよ。

「慶応義塾」の創始者

1890年、王政復古の大号令が起こり、新しい政府である明治政府が発足した。

これまでの功績から、諭吉は新しい政府の官職につくように求められたんだけど、諭吉はこれを断った。

そんな諭吉が生涯にわたって心をくだいたのは、若者への教育だ。

 

まだ幕府があったころ、諭吉は蘭学を学ぶ塾を創設していたが、

1868年、この蘭学塾(後に蘭学から英語の教育へと変更)の場所をうつし、「慶応義塾」と名を改めた。

「義塾」というのは英語の「パブリックスクール」を日本語訳にしたものなんだって。

 

この学校では、日本で初めて学生から毎月授業料の徴収を取り入れた運営方法だったんだ。

設立当時は、文学・理財・法律の3科のみの大学だったんだよ。

代表作「学問のすゝめ」の発表

「学問のすゝめ」とは福沢諭吉の代表作の1つだ。

「天は人の上に人を作らずと言えり」の書き出しはあまりに有名だよね。

内容は全17編に渡り、学問の大切さを誰でも読めるようにわかりやすく簡単な言葉で書いてあるんだよ。

「人間は元々平等だけど、勉強をするかしないかで人生が変わる。

勉強とは生活に役立つ「美学」である」

ということを1番に言いたかったんだ。

 

また、国家は人民によって作られるべきである。国家と人民は平等である。という内容も記されていて、人々にはまさに目からウロコ的な内容でいっぱいだったんだ。

こちらの本も300万部を超える大大ベストセラーとなり、当時の日本人10人に1人が読んでいたんだって。

では、ここで「学問のすゝめ」に書かれている名言を少し紹介しよう。

① 賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり

人間は生まれつき平等であるが、生きるための「美学」を学ぶものと学ばないものとでは大きく差が出来てくるものだ。

② この人民ありてこの政府あり

国民は政府が悪いと非難するものだが、そうではない。

愚かな政治は愚かな自分が招いた災いなのだ。

国を良くしようとする自分の努力不足を棚に上げて政府に不満をいうのはおかしい。

③ 人を恐るるものは必ず人にへつらうものなり

他人の力を頼るものは結局、人にへつらうようになる。

 

今聞いてもとっても耳が痛い名言ばかりだよね。

「学問のすゝめ」は現在でもビジネス本、自己啓発書として人々から親しまれている。

当時のベストセラーの本が現在でも親しまれている理由がわかったかな?

福沢諭吉が一万円札になぜ選ばれた?

これまで一万円札に肖像画が採用された人物は、「福沢諭吉」と「聖徳太子」の2人だけなんだ。

1984年に初めて福沢諭吉が一万円に選ばれ、2004年に紙幣のデザインが変更されても引き続き、福沢諭吉が一万円札を務めることになった。

そもそもなぜ福沢諭吉が一万円札に?

その理由は、選考基準である「最高額のお札として、品格があり、肖像画の人物が一般的にも国際的にも知名度が高い明治以降の文化人」ということに関係している。

 

つまり、日本人の代表として福沢諭吉が選ばれたといっても過言ではないね。

またそのほかの理由として、顔が特徴的でほくろの位置がいい感じで偽造防止になっていたというのもあげられるそうだよ。

2024年に、紙幣のデザインが一新されて、一万円札は福沢諭吉から変更されることになっているのが少し残念だね。

まとめ!

以上、福沢諭吉についてまとめました。大事なキーワードを下にまとめておきましょう。

  • 蘭学者・思想家
  • 3回にわたって欧米に渡り、「西洋事情」を記す
  • 慶応義塾を創設→日本で初めて学費を徴収
  • 「学問のすゝめ」を記す→約300万部を超えるベストセラー
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社会の勉強が苦手だ!

とにかく覚えられない。

参考書を読んでいても頭に入ってこないんだよ!


 

こんな悩みを抱えている方も多いのではないでしょうか。

私はめちゃくちゃ社会が苦手なので

こういった悩みにすっごく共感できます(^^;)
 

参考書に載っている用語を覚えなくちゃいけない。

それは理解しているんだけど…

山の名前、国の名前、偉人の名前…

参考書を眺めていても、想像力が働かなくて

ただの文字としてしか頭に入ってきません。
 

これでは、ただの暗記であって

知識にはなっていないのです。
 

にもかかわらず、ほとんどの社会の参考書は

大事なポイントが文字でまとめてあるばかり。

社会が苦手な人にとっては、マジ苦痛ですよねw
 

と、まぁ

参考書を眺めてばかりで

一向に理解が深まらなかった私は

社会の学習を半ば諦めていました。

 

しかし

ちょっと学習する方向性を変えてみました。

すると!

楽しいくらいに理解が深まるようになってきました。

参考書では学ぶことができなかった

深い部分までの理解、そして知識のつながりが

頭の中にすっと入ってくるようになったのです。

 
理解が深まってくると、学ぶ意欲も高まり

どんどんと積極的に社会を学ぶようになりました。

こうなってくると、参考書に書いてあった

今まではただの文字としてしか認識できなかった情報も

サクサクと理解できるようになってきました。

まさに相乗効果!って感じですね(^^)

 
さて!

私は、参考書を解きまくるという学習方法から

新しい学習方法に切り替えたことで結果が出始めたわけですが

その新しい学習方法とは…??

 

社会を聴く!!

 

という学習方法です。

こちらのスタディサプリという学習コンテンツを利用して

社会の授業を聴くことにしました。

スタディサプリとは


 
プロの社会講師が授業をしているので

話が面白い!!

雑学的な感じで、いろんな知識を話してくれるので

どんどんと興味がわいてきて

知識欲が深まってきます。

 
その結果

社会の知識が身についてくるし

社会のことが好きになってきます(^^)


この状態にまでなると

あとは、いろんな参考書を

1人で読んでいても勉強が苦ではありません。

 

  社会が苦手だ…

どうしても覚えられない…

でも、なんとかしないといけない…

そんな悩みを抱えている方がおられましたら

私が社会を好きになるきっかけをくれた

スタディサプリを試してみるといいですよ!
 
今なら14日間の無料体験ができるようですので

まずは、社会を聴く!の効果をお試しください(^^)

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